2013年2月9日土曜日

今月の一冊 セバスチャン・フィツェック「治療島」

日本での発売は2007年、少し前の小説。

 

帯にサイコホラーと謳われていて、

だから読んでみたというわけではないんやけど、

サイコホラーという言葉は簡潔かつ端的にこの作品を表してると思う。

 

だって、ものの見事なサイコホラーやもん。

 

こういう言い方はしたくないんやけどね、ほんとは。

小説にしろ音楽にしろ、がっちがちにカテゴライズするのって好きではなかったりするから。

カテゴライズすることによって「俺はそういうのええわ」と避けられることもないわけではないし。

 

拙著「絶対服従者(ワーカー)」でもそういうことがツイッター上であり、

SFは苦手やし、どうかと思ったけど楽しめた」旨を言うていただけたことがあって、

心の底から嬉しくて、

がっちがちなカテゴライズは必ずしも売るうえでプラスではないよな、と。

だって俺は自分の本をSFと認識したことは一度もなくて、

SFと意識して書いたこともないからね。

届けたい方のところに、SFという言葉が邪魔して届けられない、とかなると本末転倒ですがな。

 

ということで、この作品も一言、サイコホラーという言葉で片づけるべきではないんやけど、

しかしながらまごうことなきサイコホラーだったりしまして。

 

著名で、テレビなんかにもよく出ている精神科医ヴィクトルの娘が

突然行方不明になるところから物語は始まり、

場面転換すると精神科医ヴィクトルはかつて自分が患者を入れていた病室に自分が入ってしまっていて、

なおかつ拘束されているという状況。

なぜこうなってしまったのかということを若い精神科医に話し始める、というのが冒頭の筋。

 

書店で何かあれへんかなと物色していたら、

たまたまこの本を見つけて、

この冒頭で一気に好奇心と興味をかきたてられまして。

 

今思えば好奇心と興味がかきたてられた理由は不純なもんやったやもしれん。

翻訳小説にありがちな、「うっ、読みづらい」感がなく、

娯楽作品としてするっと読み手を導いてくれたから。

 

物語は精神科医ヴィクトルがそれまで滞在していたパルクム島での出来事と、

病室で若い精神科医と話しているふたつのシーンを行ったり来たりする構成で、

でも病室はちょっとした味つけ程度で、

主な描写はパルクム島で何があったかという部分に集中してます。

 

このパルクム島で、アンナという女性がヴィクトルをたずねてきたところから物語は、

文字通りサイコホラーの様相を呈していきます。

まあなんというか、ぐっちゃぐちゃにねじれていきます。

 

詳細はネタバレになるので一切を割愛。

でもそれじゃ感想ですらないから、ちょこっとだけ雑感を。

ある種のネタバレを含みますのでご容赦を。

 

この本、真相につながりそうな、鍵となる情報が、とにかく多い。

傍点の多用乱用。

終盤になるとさすがにお腹いっぱいやでとなったけど、

真相が明らかになったときに、ああなるほどね、と。

 

で、ここが文章で説明する際に難しいとこなんやけど、

その真相そのものは決して衝撃的なものではないし、

ミステリー小説によくある「ラスト数ページの衝撃!」みたいな煽りにしてしまうと

おいおい嘘つくなと言われること確定のものでして。

 

だいたいの読み手は途中から、

この話はこういうオチなんちゃうの?とか

あるいはこっちのやり方で締めるんかな?とか

想像すると思うのですが、

その想像を驚くほど逸脱することのない真相がつきつけられます。

 

ここまでやと、うそ〜ん、となるわけで。

実際、俺はがっかりしまして。

こんなんでええの?と。

いまどきこんなひねりも何もあれへんオチで許されるの?と。

 

この作品のすごいとこは、真相が明かされたあと。

 

何があったのかということが語られたあとで、

あとひとつだけ疑問が持ちあがります。

で、若い精神科医がヴィクトルに質問し、ヴィクトルが答えて、

真実がつきつけられるわけですが、

この真実が作品の肝。

 

ここでも決してミステリー小説によくある「ラスト一行の衝撃!」みたいなのはないです。

なんやろ。

じんわりと来るんよね。

狂気やら息苦しさやら、

途中で傍点を多用したり

どうせオチはこれやろ?と斜に構えたくなるぐっちゃぐちゃな展開の裏側にこっそり潜ませた、

真実につながる情報の断片が。

 

そうきたかぁ、なるほどなぁ、とため息を漏らしてしまうわけです。

 

その真実がカタルシスやからおもしろいとかすごいということではなく、

作品そのものの持つ力と全体を支配する陰鬱さによって、

読み手を心地よくひきこんでくれる作品でした。

 

ただ、ひとつだけ。

帯の裏にある「ダン・ブラウンより面白い!」とか

「フィツェックはダ・ヴィンチ・コードを超えた!」という文句(いずれも本国ドイツでの宣伝要素強めな評価)はね。

なんぼなんでも言いすぎでっせ。

 

そもそもダン・ブラウンとは方向性が全然ちゃうやん。

この作品を比較するならスティーブン・キングでしょ。

と言いたくなったけど、それはそれとして、おもろかった。